中国では今なお、帝国主義における過去の日本軍中国侵略に対する恨みは根強く残っている。
1972年、中国政府は日本側に対し賠償額を一切請求すること無く新しい未来の日中友好に期待するという声明を発表し日中国交正常化が田中角栄、周恩来両首相の署名により成立した。
これは日本側から見れば素晴らしいの一言である。しかし中国国民の中には不満を持つ者は多かったであろう。当時、中国共産党は絶対であり、反発しようものならすぐに逮捕されるといった状態で誰もそのような反行為を起こす者はいなかった。しかしその後国内では様々な不満が募り天安門事件へと発展し、各地で暴動が発生するようになる。
2005年、靖国参拝という小泉首相の行為を非難し大規模な反日デモが起きたりと、中国人にとっては過去の悲惨な経験を少しでも刺激すればたちまち暴動へと発展するケースが多くなる。
中国政府が今一番恐れているのは反政府デモである。
2011年温州市高速鉄道追突事故で200人以上の死傷者を出した事件で、救助活動と早期事故原因究明の声が上がったが、なぜか証拠隠滅としか思えない行動で救助活動は打ち切られ、事故車両は埋められるという事が起きた。その中に指示に従わず救助活動を続行した者がおり生存者を発見した。少女が生き埋めになり生きていたのである。この事に対しネットでは政府に対する不満が書き上げられた。また事件発生数日後に政府は遺族に対し賠償金の手続きを開始したが、金では問題解決にならないという遺族もおり原因究明の声を上げたが、合意しなければ賠償金は支払わないという事になり遺族のほとんどがこの賠償金手続きの合意書にサインする事になる。
この不満や他にも役人の贈収賄、貧富の激しさにおける格差問題など、政府に対する非難は多くなっており、その矛先をを他に向ける意味でも反日感情は消すわけにはいかない存在なのかもしれない。
中国国内ドラマや映画にはあまりにも日本軍の侵略を題材とし、中国人民軍が勇ましく戦う内容や日本人に恋人を家族を殺されるという悲劇のドラマが数多く放映されている。この為、日本人を嫌うという感情は自然に埋め込まれていく。
しかし現代の日本を知る人、知識を得た人達はしっかりと昔の事であり今の日本人は違うという事をよく理解している。
私は2005年のちょうど反日デモ真っ盛りの中、広州にいたのだが中国の知人たちは皆、私にこう言ってくれた。中国では反日行動を起こさない者は批難される事が多く、嫌々参加したりお金をもらえるから参加する者もいるようだ。私は広州市で食事したりしたが反日デモが多いからあの町に行ってはいけないなど多くの方々が私を気遣い注意してくれた。全ての中国人が日本人を非難している訳では無く、暴動に出るのは一部の者達である。その映像が日本ではクローズアップされ大騒ぎとなる場合も少なくない。こういった行動は経済、株価にも影響が出るので、それを望んで騒ぎを起こす者たちもいる。
両国は確かに今回の尖閣諸島問題について反日、反中という意識が大きくなったと思う。
しかしながらこの問題を長引かせれば両国にとって良い結果にはならないという事は誰もが理解している。
日本人はいくらか中国人を格下に見ている所があるのかもしれない。それは明治維新後、アジアで唯一西欧諸国の列強と肩を並べる存在になった事もあるだろうが、戦後間もなく日本は経済大国となり世界経済を支えてきた。バブル期などはアジア諸国の発展にも貢献したという記憶が抜けきれず日本が一番、アジアNO1という座を諦めきれずにいるのだろう。
こんな大昔の事を話せば笑われてしまうだろうが、中国人に今でも残っている考え方を日本人は理解しなければならない。日本と中国との関係は古い記録では邪馬台国にまでさかのぼる。その後日本は遣隋使、遣唐使などを派遣し中国から様々な品物を受けたり知識や技術の面でも大きなものを学んできた。約1000年、日本と中国は友好な関係で結ばれていたのである(モンゴル帝国は漢民族では無い)。しかしその関係は幕末明治維新によって崩壊した。それまで中国は親であった。中国も日本を子と思い友好を続けて来た。しかし子が親に刃を向け暴力をふるったのである。そして親を蔑むようになり、恩を仇で返したという考え方が多くの中国人に今も心の奥底に残っている。中国の人々はこういった史実をよく知っているので、日本人の歴史の無知さに頭に来る者も多いのかもしれない。このような歴史も含め、お互いが理解し合えば両国は昔のように親と子になれるかもしれない。