被災地の記録(2012年4月)



2012年4月13日より被災地復興工事にて岩手県大槌町へ行って来ました。
震災から1年経過した今、輸送手段として必要であった道路は、ほぼ開通しておりますが東北自動車道などは未だにき裂が入っていたり隆起している個所もあり、片側1車線規制が続いている区間も多くあります。
大量の瓦礫で埋まっていた町もほとんどの撤去は終わってはいますが、未だ津波で破壊された住宅や車の残骸が積み重なったままの状態がところ多く見られます。
輸送手段が海であった昨年とは異なり、今年は急ピッチで進められて来た道路復興工事により、陸のルートでの運搬が行なえるようになってきました。大型車両の通行も多く、建設資材等運搬もスムーズに行なえるようになり復興工事も加速して行くとみられます。
しかし、現在、被災地沿岸部において、宿泊施設が圧倒的に不足しており、宿泊施設は被害が少なかった何十キロも離れた町で探すしかありません。そこから復興開発地へ向かうだけで1時間以上を要します。現地での宿泊施設を探すのは困難な為、燃料費等もばかになりません。今後必要なのは安価な宿泊施設の建設であると言えます。
現在、復興工事参加への意欲はあるものの、これら宿泊費用だけで見積り額が跳ね上がり、単価等が合わずに復興工事への参加を断念せざるを得ないといった方々も多くみられます。まずは宿泊施設建設が復興工事への次なるステップとなるでしょう。




今回、大槌町、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市と最も被害が多かった場所を見て来ました。
まるで空爆を受けたかのような無残に残された廃墟と化してしまった町々を見て、地震、津波の恐怖を改めて実感しました。巨大な堤防が無残な姿で横倒れになっていたり、山積みにされたままの車の残骸。腐食した大量の本が残された図書館。津波到達時に停止したままの町役場や学校の時計を見ていると、その時、その瞬間の映像が押し寄せてくるような、テレビで見た映像がはっきりと今いる場所で起こったという事を実感し、それと同時に強い慈悲の念が心から込み上げて来るのです。
国道45号線を南下して行くと、高台の辺りには多くの仮設住宅を見る事が出来ました。
こういった現実を目の前にすると本当に一日でも早い復興、協力へ力を注ぎたいという強い意欲が沸き上がって来ます。



2012年 4月撮影



.